よくある質問 FAQ
Q.いつできたのですか?
明治の末期、1906年(明治39)に、沖縄島北部の奥集落に奥共同店が設立されたのが最初です。
Q.いくつくらいあるのですか?
現在運営中の店は、沖縄県内でおよそ 60店、奄美を加えると70店ほどです、と答えてはいますが、運営形態も変化しており実際はそう簡単には言えません。元々は、集落住民による組合形式での運営だったものが、その後、土地建物や備品は集落の所有のまま経営を個人に委託する「請負」と呼ばれる運営方式が増えました。さらに近年は、組合を一度解散し集落の直営とするケース(国頭村・楚洲共同店、東村・川田区売店など)や、個人が買い取ったものの所有者が経営できなくなったため住民有志によって経営を引き継ぐ例(うるま市・南風原売店)などが出てきています。これらを共同売店に含めるかどうか、捉え方によって数が変わってきま す。また、数年間、閉店した後に復活・再開することもあります。詳しくはこちら
Q.かつては何店あったんですか?
詳しくはリンク先を読んで頂きたいと思いますが、200店以上あったと思います。1983年の『沖縄大百科』(沖縄タイムス社)では、当時運営が確認されたのが116店となっていますが、これは1980年前後の沖縄国際大学南島文化研究所の調査が基になっています。しかし、調査に含まれていない店も少なくありません(羽地中部協同売店、奄美の売店など)。当時、奄美にもあることは研究者にも知られていなかったために未調査でした。沖縄県内でも戦前の産業組合や農事小組合、戦後の配給所や農協などへ組織変更があり、現地の人の記憶も曖昧で、戦災で記録も消失してしまっているためです。詳しくはこちら
Q.どこにあるんですか?
沖縄島北部のヤンバル地域(国頭村、大宜味村、東村、今帰仁村、名護市)、本島中部(恩納村、うるま市の宮城島、伊計島)、離島では伊是名・伊平屋島、宮古島、 石垣島、波照間島。そして、鹿児島県奄美大島の奄美市、大和村、宇検村に沖縄の共同売店とほぼ同じ歴史や運営を 行なっている店(地域商店)があります。(共同売店マップはこちら)
Q.那覇から一番近い共同売店はどこですか?
時間的には、恩納村の山田共同売店でしょう。沖縄道を使って約50分です(Googleマップ)。近くにまえだ売店(真栄田共同売店)、すや(塩屋)売店もあり、地域ごとにローカル色豊かな共同売店を知ることができます。以前は読谷村の都屋共同売店が一番近かったのですが、残念ながら現在は他の店として営業中です。他に、「世界最大の共同売店」こと恩納共同売店(約52分)、南風原売店(約55分)もおすすめです。ちなみに奥共同店までは2時間10分。だいぶ近くなりましたね〜。やっぱり、やんばるの共同売店も見てほしいと一ファンとしては願っています。
Q.おすすめの共同売店はどこですか?
これが一番困る質問です。全部オススメなんですが、この手の質問をする人が知りたいのは、「分かりやすい成功事例」とか「見た目がいかにも共同売店っぽい」、「そんなに遠くない」共同売店のようです。成功事例といえば、もちろん一番歴史があり今でも様々な集落事業を行っている奥共同店、世界最大の共同売店こと恩納共同売店、おばあちゃんのクリスマス会など斬新なアイディアで注目を集める与那共同店などがあります。しかし、小さくて今にも潰れそうな(失礼)な共同売店こそ、実は成功事例だと私は思います。なぜって、他にどんなスーパーもコンビニも真似のできない厳しい条件にも関わらず経営を続けているからです。よく見て、よく話を聞けば、どの共同売店もスゴいんです。共同売店は、本当にそれぞれ様々でユニークなので、詳しくはファンクラブまでお尋ね下さい。
Q.那覇などの本島南部にはないんですか?
那覇には残念ながら今も昔もありませんが、本島南部にはかつてはありました。南風原町、東風平町・具志頭村(現八重瀬町)、旧玉城村(現南城市)などです。1983年刊『沖縄大百科』によれば、当時南部に10店営業中だったそうです。(参考) ちなみに那覇には、奥共同店の支店(倉庫)がありま した。もうひとつちなむと、数年前まで那覇市安里のバス停前に「あさと共同売店」がありました。こちらも共同売店ではないものの地域の方が地域活性化のために営業されていて、ファンクラブとしても応援していました。
Q.農産物直売所みたいなものですよね?
よく勘違いされるのですが、農家による農産物直売所などとは、設立の主体や目的などが違い、別のものです。共同売店は基本的に、集落の住民が自分たちの必要とする日用雑貨や食料品を手に入れるために運営しているものです。かつては農協と同じく農林産物の共同出荷も盛んでしたが、現在では生協のような共同購入が主となっています。なので地元の野菜などは意外と置いてありません。野菜は自分達で作っているから買う必要がないのです。残念。
Q.共同店、共同売店、まぎらわしいですがどっちが正しいのですか?
どちらも正しいです。最初にできた奥共同店は「共同店」ですが、「共同売店」もたくさんあります。国頭村内は「共同店」、大宜味は「共同売店」が多いで す。他にも、「協同店」「購買店」「販売店」など。各集落が独自に設立、運営しているのでバラエティに富んでいます。ちなみに私は大宜味村2世だからということもありますが、ウェブで検索する時も「共同売店」の方が便利です。過去の論文や資料を探す際は「共同店」の方が探しやすいですが、最近は「共同店」と検索すると「ビックカメラとユニクロの共同店」とか出てきてビックリします。
Q.法人格はあるんですか?
ほとんどの共同売店は、法人格を持っていません。法的には、町内会やマンション管理組合などと同じく、いわゆる任意の組合とか権利能力なき社団とか言われるもので、税法上は一般の商店と同じように扱われているようです。ただし例外としては、奄美にある共同売店(地域商店)は、有限会社になっているところが多く、また沖縄では唯一、宮古島にある狩俣購買組合が2009年に株式会社化し、「狩俣マッチャーズ」になりました(マッチャーとは宮古の言葉でお店のこと)。それから、集落が法人格(認可地縁団体)を得る例として、石垣市の伊野田、星野、明石、名護市の呉我、伊平屋の野甫などがあります。
Q.協同組合なんですか?
沖縄の共同売店は、日本の法律上の協同組合ではありませんが、19世紀のイギリスやドイツにさかのぼる近代的協同組合運動の流れに位置づけられる協同組合的組織と言える、と私は思います。現在の日本の協同組合は、農協、漁協、生協、事業組合など事業ごとの個別の根拠法で規定されているため、共同売店をはじめ、ワーカーズコープなどそれに当てはまらない活動をする組織をカバーすることができていません。沖縄の共同売店はJAやコープなどよりも古く、明治末期以来100年以上の歴史があり、戦前の産業組合に近い形態と言えるかもしれません。そのため2012年の国際協同組合年には、農協や生協の複数のメディアが「協同組合の源流」として沖縄の共同売店を取り上げました。奥共同店とイギリス・ロッチデール先駆者組合の規約を比較し、「非常に近い」とする研究もあります。(詳しくはこちら)
Q.沖縄にしかないんですか?
長くなるので、別のベージに分けますね。