かつて共同売店が存在した地域リスト

このリスト作成の経緯については、こちらを参照してください。

更新:2019年3月 – 仲尾売店(名護市)を「営業中」に変更しました。

No. 市町村(現在) 部落名 設立年 備考 過去の調査

1  国頭村  奥  1906
2  国頭村  楚洲  1914  直営※
3  国頭村  伊部(安田の支店)  戦後?  個人所有
4  国頭村  安田  1916
5  国頭村  安波  1921
6  国頭村  辺戸  1916
7  国頭村  宜名真  1919
8  国頭村  武見(宜名真の支店)  ?  閉店
9  国頭村  宇嘉  1918
10  国頭村  辺野喜  1916
11  国頭村  佐手  1921  閉店(建物は現存)
12  国頭村  謝敷  1919  閉店(建物は現存)
13  国頭村  与那  1951
14  国頭村  伊地  戦後
15  国頭村  宇良  1930  閉店(建物は現存)
16  国頭村  辺土名  1920
17  国頭村  奥間  1923
18  国頭村  桃原  1922
19  国頭村  鏡地  1927
20  国頭村  半地  1928  閉店 ※
21  国頭村  比地  1951  閉店(建物は現存) ※
22  国頭村  浜  1924
23  大宜味村  田嘉里  大正前後※
24  大宜味村  謝名城  大正前後
25  大宜味村  喜如嘉  大正前後
26  大宜味村  大兼久  大正前後
27  大宜味村  饒波  大正前後  閉店
28  大宜味村  大宜味  大正前後  閉店(建物は現存)
29  大宜味村  根路銘  ?  閉店
30  大宜味村  上原  ?  閉店
31  大宜味村  大川  戦後 ※
32  大宜味村  塩屋  大正前後  個人所有
33  大宜味村  兼久  大正前後  閉店
34  大宜味村  屋古  大正前後
35  大宜味村  押川  大正前後  閉店
36  大宜味村  田港  大正前後  閉店
37  大宜味村  大保  大正前後
38  大宜味村  宮城  大正前後  閉店
39  大宜味村  津波  大正前後  閉店
40  大宜味村  白浜  大正前後  閉店
41  大宜味村  江洲  1960  閉店
42  東村  牛道  戦後  高江に統合
43  東村  高江  戦後
44  東村  車  1962  高江に統合
45  東村  魚(宮城の支店)  1933
46  東村  イノーガマ(宮城の支店)  戦前  閉店
47  東村  宮城  大正前後
48  東村  川田  大正前後  直営
49  東村  福地(川田の支店)  1958  閉店
50  東村  平良  1948
51  東村  第一宇出那覇(平良の支店)  1948  閉店(建物は現存)
52  東村  第二宇出那覇(平良の支店)  1948  閉店
53  東村  有銘  1914
54  東村  慶佐次  1923
55  名護市  有津  1945  閉店
56  名護市  底仁屋  1975  閉店
57  名護市  天仁屋  1935  閉店(建物は現存)
58  名護市  嘉陽  1949
59  名護市  安部  1948  閉店
60  名護市  三原  1950
61  名護市  汀間  1946  閉店(建物は現存)
62  名護市  大浦  1956
63  名護市  大川  1945  閉店
64  名護市  二見  1945  閉店
65  名護市  瀬嵩  1967
66  名護市  辺野古  1945  閉店
67  名護市  豊原  1945  閉店
68  名護市  久志(久富)  1953
69  名護市屋我地島  運天原  戦後
70  名護市屋我地島  饒平名  戦後  閉店
71  名護市  仲尾  1950
72  名護市  勝山  戦後  閉店
73  名護市  山之端  戦後  閉店
74  名護市  宇茂佐  1960ごろ  閉店
75  名護市  宮里(任意※)  戦後  閉店
76  名護市  幸喜  大正前後  閉店
77  名護市  喜瀬  大正前後  閉店
78  名護市  呉我 ?  不掲載(設立時は産業組合または農協か?)
79  名護市  稲嶺 ? 閉店  不掲載(設立時は産業組合または農協か?)
80  名護市  源河 ? 閉店  不掲載(設立時は産業組合または農協か?)
81  名護市  羽地中部 田井等、親川、中尾、振慶名  1979   不掲載(元羽地中部農協)
82  今帰仁村古宇利島  古宇利東  戦後  閉店
83  今帰仁村古宇利島  古宇利中  戦後  閉店
84  今帰仁村古宇利島  古宇利西  戦後  閉店
85  今帰仁村  運天(白間)  1957  閉店
86  今帰仁村  運天  戦後  閉店
87  今帰仁村  運天(徳山)  戦後  閉店
88  今帰仁村  運天(クンジャ)  戦後  閉店
89  今帰仁村  上運天  戦後  個人所有?
90  今帰仁村  天底  1960  閉店
91  今帰仁村  湧川(任意、3班)  戦後  閉店(建物は現存)
92  今帰仁村  首里原  戦後  閉店
93  今帰仁村  勢理客  大正前後  閉店
94  今帰仁村  呉我山  戦後
95  今帰仁村  渡喜仁  1950  閉店
96  今帰仁村  越地  1950  閉店
97  今帰仁村  崎山  1914
98  今帰仁村  仲尾次  大正前後  閉店
99  今帰仁村  与那嶺  大正前後  閉店
100  今帰仁村  諸志  大正前後
101  今帰仁村  今泊  大正前後  閉店
102  今帰仁村  兼次  大正前後  閉店
103  今帰仁村  平敷  1953  閉店
104  今帰仁村  謝名  戦後  個人所有
105  本部町  具志堅  戦後  閉店
106  本部町  新里  戦後  閉店
107  本部町  備瀬  1948  閉店
108  本部町  山川  戦後  閉店
109  本部町  浜元  戦後  閉店
110  本部町  伊豆味  大正前後  閉店
111  本部町  崎本部(任意)  戦後  閉店
112  恩納村  名嘉真  戦後  閉店
113  恩納村  喜瀬武原  戦後
114  恩納村  安富祖  大正前後  閉店
115  恩納村  瀬良垣  大正前後  閉店
116  恩納村  大田    閉店
117  恩納村  恩納  大正前後    当初は産業組合
118  恩納村  南恩納  ?  閉店
119  恩納村  谷茶  大正前後
120  恩納村  富着  ?  閉店
121  恩納村  前兼久  大正前後
122  恩納村  仲泊  1919  個人所有
123  恩納村  山田  大正前後
124  恩納村  真栄田  ?
125  恩納村  塩屋  ?
126  宜野座村  松田  1950  個人所有
127  宜野座村  宜野座  大正前後  閉店
128  宜野座村  惣慶  1921  閉店
129  宜野座村  福山  1947  閉店
130  宜野座村  漢那  大正前後  不掲載(2013年復活)
131  金武町  城原  1945  閉店
132  うるま市石川  石川  1939  戦前のみ
133  うるま市石川  伊波  1920  戦前のみ
134  うるま市石川  嘉手苅  1920  戦前のみ
135  うるま市石川  山城  1920  個人所有
136  うるま市石川  東恩納  1921  戦前のみ
137  うるま市石川  楚南  大正前後  戦前のみ
138  うるま市具志川  栄野比  大正前後  戦前のみ
139  うるま市具志川  昆布  大正前後  戦前のみ
140  うるま市具志川  天願  大正前後  戦前のみ
141  うるま市具志川  赤野  大正前後  戦前のみ
142  うるま市具志川  具志川  大正前後  戦前のみ
143  うるま市与那城  照間  大正前後  戦前のみ
144  うるま市与那城  饒辺  1941  個人所有?
145  うるま市勝連  平安名  大正前後  閉店
146  うるま市勝連  南風原  1952   個人所有
147  うるま市勝連  平敷屋  1925  個人所有
148  うるま市勝連  内間  1948  個人所有
149  うるま市宮城島 桃原  1920
150  うるま市宮城島  上原  ?  閉店(建物は現存)
151  うるま市宮城島  宮城  大正前後
152  うるま市伊計島) 伊計  1914
153  うるま市浜比嘉島  浜  1928  閉店
154  沖縄市  池原    個人所有?  不掲載※
155  読谷村  長浜  大正前後  閉店
156  読谷村  高志保  大正前後  閉店
157  読谷村  波平  1934  閉店
158  読谷村  楚辺  戦後  閉店
159  読谷村  牧原  戦後  閉店
160  読谷村  都屋(任意)      不掲載(元漁協?)
161  南風原町  兼城  大正前後  戦後は理髪部のみ
162  南城市佐敷  津波古(任意)  大正前後  戦前のみ
163  南城市玉城  糸数  1965  閉店(1995)
164  南城市玉城奥武島 奥武  1960  閉店
165  南城市玉城  愛地  1958  閉店
166  八重瀬町東風平  世名城  戦後  閉店
167  八重瀬町東風平 富盛 戦後 閉店
168  八重瀬町具志頭  具志頭  1917  個人所有
169  伊平屋島  田名  大正前後
170  伊平屋島  前泊  1952
171  伊平屋島  我喜屋  1951
172  伊平屋島  島尻  1967
173  伊平屋島  野甫(野甫島)  大正前後
174  伊是名島  仲田  大正前後
175  伊是名島  諸見  大正前後  閉店
176  伊是名島  勢理客  大正前後
177  伊是名島  伊是名  大正前後  閉店
178  久米島  上江洲  1960  閉店?
179  粟国島  西(任意)  大正前後  閉店?
180  宮古島  大神  大正前後  閉店?
181  宮古島  狩俣  1949
182  宮古島  島尻  1958
183  宮古島  成川  戦後  閉店
184  宮古島  下崎  1964  閉店
185  石垣島  久宇良  1955  個人所有
186  石垣島  明石  1955
187  石垣島  伊野田第一  1953  閉店(建物は現存)
188  石垣島  伊野田第二      不掲載
189  石垣島  星野  1952
190  石垣島  大里  1955
191  西表島(竹富町)  大富  1952
192  西表島(竹富町)  上原  1959  ?  不掲載
193  波照間島(竹富町)  名石  戦後
194  波照間島(竹富町)  北(丸友)  戦後
195  波照間島(竹富町)  南  戦後
196  波照間島(竹富町)  前(まるま)  1963
197  波照間島(竹富町)  富嘉  1962
198  与那国島  比川地域共同売店※  2014    不掲載(近年新設)
199  奄美大島龍郷町 円 2000年頃まで営業
200  奄美大島奄美市  大熊  1929  経営委託2013  不掲載
201  奄美大島奄美市 浦上 ? 不掲載 2014須山
202 奄美大島奄美市 芦花部 ? 不掲載 2014須山
203 奄美大島大和村  大棚  1914    不掲載
204  奄美大島大和村  大金久  ?  閉店2014?(建物は現存)  不掲載
205  奄美大島大和村 今里 ? 不掲載
206  奄美大島宇検村  佐念  ? 閉店中 不掲載
207  奄美大島宇検村  名柄  ? 不掲載
208  奄美大島宇検村  平田  ? 不掲載
209  奄美大島宇検村  芦検  ? 不掲載
210  奄美大島宇検村  宇検  ?  不掲載
211  奄美大島宇検村  久志  ?  閉店  不掲載(車田克典2009
212  奄美大島宇検村  生勝  ?  閉店  不掲載(車田克典2009
213  奄美大島宇検村  部連  ?  閉店(建物は現存)  不掲載(車田克典2009
214  奄美大島宇検村  阿室  ?  閉店  不掲載(車田克典2009
215  奄美大島宇検村  屋鈍  ?  閉店  不掲載(車田克典2009
216 奄美大島瀬戸内町 西古見 ? 閉店 不掲載 2014須山
217 奄美大島瀬戸内町 芝 ? 閉店 不掲載 2014須山

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訂正や追加があればぜひお知らせ下さい!

・凡例
※現在、運営を個人に委託している場合も、土地や建物が部落所有の場合は共同売店としている。
※現在、建物が買い取られていることが確認された所は「個人所有」
※過去数年間、営業をしていない店は「閉店」
※「閉店」の記述がなくても、現時点(2018年8月)で営業していない店もある。(再開の可能性があるため)
※営業していないが、建物が残っている場合は「閉店(建物は現存)」
※「不掲載」とは、1980年前後の沖縄国際大学の調査では出てこない売店。
※「直営」とは、組合(株)は解散したが部落(自治会)自体で管理運営する形態。
※「任意」とは、部落の住人ほぼ全員ではなく、一部の有志(班など)によるもの。
※設立年は主に下記資料によるが、沖縄ではここ20年ほどでも字誌(集落毎の地域史)が数多く出版されているため、新たに判明しているものも多い。修正が必要だが未確認。
※設立が「戦後」とあるのは、多くは1950年前後のこと。
※与那国の比川地域共同売店は、行政の支援により2014年に新設されたもので、共同売店に含めることに異論もあるが、設立に至る経緯や運営状況から考えれば、明治に始まる沖縄・奄美の共同売店の系譜に連なるものと考えられる。

・参考資料
『沖縄大百科事典』安仁屋政昭、1983(沖縄タイムス社) 引用リンク
『沖縄歴史地図<歴史編>』宮城栄昌、高宮廣衛、1983(柏書房
『南島文化 第5号』沖縄国際大学南島文化研究所、1983
『共同売店 ふるさとを守るための沖縄の知恵』宮城能彦、2009(沖縄大学地域研究所) ※DL可
『奄美大島宇検村における共同売店の立地と機能の変遷に関する研究』 車田克則、鈴木健二、2009(日本建築学会研究報告
『奄美大島の地域性、大学生が見た島/シマの素顔』須山聡・編 2014

参考リンク

 

関連プロジェクトプロジェクト

 

各共同売店(集落)のサイト

 

関連サイト

 

研究資料

 

よくある質問 FAQ

よくある質問 FAQ

Q.いつできたのですか?

明治の末期、1906年(明治39)に、沖縄島北部の奥集落に奥共同店が設立されたのが最初です。

Q.いくつくらいあるのですか?

現在運営中の店は、沖縄県内でおよそ 60店、奄美を加えると70店ほどです、と答えてはいますが、運営形態も変化しており実際はそう簡単には言えません。元々は、集落住民による組合形式での運営だったものが、その後、土地建物や備品は集落の所有のまま経営を個人に委託する「請負」と呼ばれる運営方式が増えました。さらに近年は、組合を一度解散し集落の直営とするケース(国頭村・楚洲共同店、東村・川田区売店など)や、個人が買い取ったものの所有者が経営できなくなったため住民有志によって経営を引き継ぐ例(うるま市・南風原売店)などが出てきています。これらを共同売店に含めるかどうか、捉え方によって数が変わってきま す。また、数年間、閉店した後に復活・再開することもあります。詳しくはこちら

Q.かつては何店あったんですか?

詳しくはリンク先を読んで頂きたいと思いますが、200店以上あったと思います。1983年の『沖縄大百科』(沖縄タイムス社)では、当時運営が確認されたのが116店となっていますが、これは1980年前後の沖縄国際大学南島文化研究所の調査が基になっています。しかし、調査に含まれていない店も少なくありません(羽地中部協同売店、奄美の売店など)。当時、奄美にもあることは研究者にも知られていなかったために未調査でした。沖縄県内でも戦前の産業組合や農事小組合、戦後の配給所や農協などへ組織変更があり、現地の人の記憶も曖昧で、戦災で記録も消失してしまっているためです。詳しくはこちら

Q.どこにあるんですか?

沖縄島北部のヤンバル地域(国頭村、大宜味村、東村、今帰仁村、名護市)、本島中部(恩納村、うるま市の宮城島、伊計島)、離島では伊是名・伊平屋島、宮古島、 石垣島、波照間島。そして、鹿児島県奄美大島の奄美市、大和村、宇検村に沖縄の共同売店とほぼ同じ歴史や運営を 行なっている店(地域商店)があります。(共同売店マップはこちら

Q.那覇から一番近い共同売店はどこですか?

時間的には、恩納村の山田共同売店でしょう。沖縄道を使って約50分です(Googleマップ)。近くにまえだ売店(真栄田共同売店)、すや(塩屋)売店もあり、地域ごとにローカル色豊かな共同売店を知ることができます。以前は読谷村の都屋共同売店が一番近かったのですが、残念ながら現在は他の店として営業中です。他に、「世界最大の共同売店」こと恩納共同売店(約52分)、南風原売店(約55分)もおすすめです。ちなみに奥共同店までは2時間10分。だいぶ近くなりましたね〜。やっぱり、やんばるの共同売店も見てほしいと一ファンとしては願っています。

Q.おすすめの共同売店はどこですか?

これが一番困る質問です。全部オススメなんですが、この手の質問をする人が知りたいのは、「分かりやすい成功事例」とか「見た目がいかにも共同売店っぽい」、「そんなに遠くない」共同売店のようです。成功事例といえば、もちろん一番歴史があり今でも様々な集落事業を行っている奥共同店、世界最大の共同売店こと恩納共同売店、おばあちゃんのクリスマス会など斬新なアイディアで注目を集める与那共同店などがあります。しかし、小さくて今にも潰れそうな(失礼)な共同売店こそ、実は成功事例だと私は思います。なぜって、他にどんなスーパーもコンビニも真似のできない厳しい条件にも関わらず経営を続けているからです。よく見て、よく話を聞けば、どの共同売店もスゴいんです。共同売店は、本当にそれぞれ様々でユニークなので、詳しくはファンクラブまでお尋ね下さい。

Q.那覇などの本島南部にはないんですか?

那覇には残念ながら今も昔もありませんが、本島南部にはかつてはありました。南風原町、東風平町・具志頭村(現八重瀬町)、旧玉城村(現南城市)などです。1983年刊『沖縄大百科』によれば、当時南部に10店営業中だったそうです。(参考) ちなみに那覇には、奥共同店の支店(倉庫)がありま した。もうひとつちなむと、数年前まで那覇市安里のバス停前に「あさと共同売店」がありました。こちらも共同売店ではないものの地域の方が地域活性化のために営業されていて、ファンクラブとしても応援していました。

Q.農産物直売所みたいなものですよね?

よく勘違いされるのですが、農家による農産物直売所などとは、設立の主体や目的などが違い、別のものです。共同売店は基本的に、集落の住民が自分たちの必要とする日用雑貨や食料品を手に入れるために運営しているものです。かつては農協と同じく農林産物の共同出荷も盛んでしたが、現在では生協のような共同購入が主となっています。なので地元の野菜などは意外と置いてありません。野菜は自分達で作っているから買う必要がないのです。残念。

Q.共同店、共同売店、まぎらわしいですがどっちが正しいのですか?

どちらも正しいです。最初にできた奥共同店は「共同店」ですが、「共同売店」もたくさんあります。国頭村内は「共同店」、大宜味は「共同売店」が多いで す。他にも、「協同店」「購買店」「販売店」など。各集落が独自に設立、運営しているのでバラエティに富んでいます。ちなみに私は大宜味村2世だからということもありますが、ウェブで検索する時も「共同売店」の方が便利です。過去の論文や資料を探す際は「共同店」の方が探しやすいですが、最近は「共同店」と検索すると「ビックカメラとユニクロの共同店」とか出てきてビックリします。

Q.法人格はあるんですか?

ほとんどの共同売店は、法人格を持っていません。法的には、町内会やマンション管理組合などと同じく、いわゆる任意の組合とか権利能力なき社団とか言われるもので、税法上は一般の商店と同じように扱われているようです。ただし例外としては、奄美にある共同売店(地域商店)は、有限会社になっているところが多く、また沖縄では唯一、宮古島にある狩俣購買組合が2009年に株式会社化し、「狩俣マッチャーズ」になりました(マッチャーとは宮古の言葉でお店のこと)。それから、集落が法人格(認可地縁団体)を得る例として、石垣市の伊野田、星野、明石、名護市の呉我、伊平屋の野甫などがあります。

Q.協同組合なんですか?

沖縄の共同売店は、日本の法律上の協同組合ではありませんが、19世紀のイギリスやドイツにさかのぼる近代的協同組合運動の流れに位置づけられる協同組合的組織と言える、と私は思います。現在の日本の協同組合は、農協、漁協、生協、事業組合など事業ごとの個別の根拠法で規定されているため、共同売店をはじめ、ワーカーズコープなどそれに当てはまらない活動をする組織をカバーすることができていません。沖縄の共同売店はJAやコープなどよりも古く、明治末期以来100年以上の歴史があり、戦前の産業組合に近い形態と言えるかもしれません。そのため2012年の国際協同組合年には、農協や生協の複数のメディアが「協同組合の源流」として沖縄の共同売店を取り上げました。奥共同店とイギリス・ロッチデール先駆者組合の規約を比較し、「非常に近い」とする研究もあります。(詳しくはこちら

Q.沖縄にしかないんですか?

長くなるので、別のベージに分けますね。