共同売店とは、明治末期の沖縄で誕生し、 共同購入を中心に様々な事業を行なってきた独特の相互扶助組織です。
というとちょっと難しく聞こえるかもしれませんが、もう少し分かりやすくいうと、「ムラのみんなで作って、みんなで運営しているお店」です。
「ムラ」と言っても現在の市町村の「村」ではなく、徒歩圏内の、顔の見える範囲である「集落」(字、小字、班)ごとに設立されており、全戸(または一部)が共同で出資し運営を行ないます。全員が出資者であり利用者でもある点は、現在の農協や生協など協同組合と同じ仕組みですが、それよりも古く、明治の終わりから100年以上続く独自の歴史を歩んできました。
1906年(明治39)、沖縄本島北部にある奥という集落に誕生した奥共同店をきっかけに、大正から昭和初期、また戦後1960年代にかけて県内各地へと広まりました。その数はのべ200の地域に上ったと思われます。1972年の日本復帰前後から減り続けてはいるものの、現在でも沖縄に約70店ほど、奄美でも数店が運営を続けています。
共同売店を支えているのは地域に住む人たちの助け合いの心です。それは100年前に辺境の地に押し寄せた貨幣経済や資本主義という大きな波、さらには沖縄戦という未曾有の困難を生き抜くための知恵でもありました。利益は配当という形だけでなくムラの人みんなのために使われました。売店、という名前から「単なる商店」と思われがちですが、かつては製材、精米などの生活インフラの整備や、病気やケガで入院する人への医療費の貸与、奨学金の給付・貸与、ムラの行事への寄付など、多岐にわたる事業を行なってきました。名桜大学の中村誠司先生は、奥共同店を「コミュニティ総合企業体」と呼んでいます。集落の暮らしの中心に共同売店があり、なくてはならない存在でした。
近年はコミュニティビジネスやソーシャルビジネス の原点としても再評価されており、特に、買い物弱者問題では、全国の高齢化や過疎に悩む地域から注目が集まっています。単なる買い物の場ではなく、地域住民が集まり、互いに見守り合い、絆を育む場となるなど、福祉的な機能の重要性が指摘されています。